● 死亡交通事故に巻き込まれる |
4台の自動車が絡む大事故
19歳の時、信号待ちをしていたところに車で追突され、脳挫傷で重体に。
生死を彷徨いました。
「心づもりをして下さい」の医師の言葉以前に、ビクとも動かずにグチャグチャにつぶれた頭からの多量の出血を多量の輸血で循環しているのを見れば「もうダメだろう」と両親はお葬式の写真を用意したそうです。
114日間の入院生活を経て退院しましたがその後も6年以上の通院が続き、病院と縁が切れない生活に。
自分が長い事患者となったため、この経験でとてもやさしい先生に出会い、「こういう先生になりたい」と思い、また、とても無愛想な先生にも出会い「こういう先生にはなりたくない」と思いました。 |
↓事故当時に乗っていた車
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↑7日間の危篤状態から覚醒しその後、
埼玉医大高度救命救急センターICU
一般病棟になるまで回復した
出血多量後の輸血、左眼窩骨折、鼻骨骨折、前歯部破折、気管切開による発声不能(1か月筆談生活)、腸骨移植による歩行不能(3か月車イス生活)、腕から点滴、膀胱バルーン
痛みで生きている気がしませんでした。
ほぼ1度死んでいて、また生かされたため、その後は死ぬ気で他人の事を考えて生きていくようになりました。↓(聖隷病院に転医)
加害者のトラックは前方部より出火
↓運転手(21歳男性)は逮捕後亡くなりました
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事故当時の診断書↓
脳挫傷、外傷性クモ膜下出血、顔面骨骨折意識障害、呼吸障害あり
初診時の意識障害継続期間6日間危篤状態 生きていたとしても植物人間、
意識が戻っても失明、車イスとの診断でした |
↓事故後の3DCTです
鼻の骨がなくなりました
左眼球がつぶれ鼻中隔が曲がりました↓
あごの骨はバラバラになりました↓
術後の写真です↓
現在もまだ頭の中に複数のワイヤー残ってます
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治療明細書の1部
7時間50分の手術で大量の輸血、
長期ICU、気管切開、骨移植がわかる
上あごの骨はなくなり、腰の骨を移植しました↓
バラバラになった頭蓋骨、顔面骨を
ボルトプレートワイヤーで固定 |
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追突された瞬間から記憶がなく、7日後に目が覚めたら越谷総合病院のICUでした
「ここはどこ?今日はいつ?何でここにいるの?」
気管切開で声が出ず、バタバタして、気付いてくれたナースに筆談したくても指が動かない
眼球損傷、複視でほとんど焦点が合わない言ってる事も遠くで聞こえて頭がガンガンしている
鼻は折れて骨ごとなくなってしまった。しばらくは五感の正常機能がすべて喪失した
その影響かは解りませんが、その後第六感が発達してきた??気がします |
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夜中の2時ころの事故でしたが、事故現場近くの人達が救急隊到着前に
必死になって消火器やホースで火を消してくれたと後で聞きました。
自分の車にも火が移ったようですが、焦げたくらいだったようです。
ドアが開かず、レスキューによって油圧式スプレッダーでドアを切って救出したようです。
多くの人に助けていただきました。 |